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2015/12/30

「篤姫」脚本田淵久美子氏から学ぶ

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こんにちは、女性の応援団 モチベーションをアップするコーチの熊谷留美子です。

数年前テレビ「徹子の部屋」に「篤姫」の脚本家の田淵久美子さんが出演されたときのことです。

49歳、2人の子供がいて、再婚した相手がちょうどNHKの大河ドラマ「篤姫」を書いている間に
病気になり、完成と同時に亡くなったということでした。

 
ご主人のことを
「すべて肯定する人でした。
人が人を肯定していったら、どんなに人間が変わるか
それを見せていただきました。

篤姫の脚本には、夫が私にしてくれた会話を随所に入れました。
夫がいなくては、とても書けませんでした」

 

 

静かな話し方でした。

 
12歳の娘さんがあまりにも悲しんでいる田淵さんをみて
「ママは、失恋したんだよ。
だから、新しい恋人を探したらいいんだよ」

と言ってくれたそうです。

 
田淵さんが本当はご主人の看病をしたい気持ちがいっぱいだったのですが、

一年間、50週という長い大河ドラマの脚本を書くことに集中されたということに、驚きました。
 

はい、わが身を振り返るいいひと時でした。
きっと何かが起きたときには、今日の田淵さんのことを思い出して、
励ますことになるだろうと思います。

この篤姫は、薩摩の田舎のお姫さまから将軍の正室になり、

江戸から明治に移り変わる時代に大きな役割をされた女性です。

 

 

はずかしながら、この篤姫の存在は、全く知りませんでした。

そして・・、私の地元鹿児島でも、篤姫さんのことを知らない方の方が圧倒的に多かったです。

 

 

あくまでも脚色された歴史物ですが、

このドラマを書かれた後に、「女の道は一本道」の本を書かれました。

「女の道は一本道」 は、私にとっては、意味ある言葉です。

 

 

ドラマ篤姫の第2話で、ばあやが、篤姫に言った言葉でした。

 

私自身、どの道をいくのか探していました。

そして、とことんやって非難をあび、迷惑をかけ、それでも道がみえなくて

「私ってなんのために生きてきたのだろうか」 といつも心に重い石をもっている感じでいました。

 

 

薩摩が、外様大名として終わるのではなく、中央(徳川幕府)を倒し世界へいくために、

いろんな仕掛けをしてきた歴史が残っています。

 

 

西郷隆盛さんが注目をされていますが、この篤姫の存在も大きかったと思えるのです。

 

男尊女卑の鹿児島に育った私は、「男性に勝とう、勝とう」としていました。

8才のときに住んでいたところで、男性に虐げられた女性の姿を見たからかもしれません。

 

 

でも、今は違います。

女性は、女性の役割があり、男性は男性の役割があることを教えていただきました。

 

 

男性に勝とうという、小さなわけのわからない欲望ではなくて、私自身しかできないことで、

お役に立てるようにしようと思えるようになりました。

 

 

それでも・・・、夫に勝とう・・なんて、チラチラ思う自分がでてくることがありますが・・・。

 

いいとか、悪いとかではなく・・・

この「女の道は一本道」・・、鹿児島の風土がそうしたものを創り上げてきたような気がします。