
こんにちは、女性の応援団 モチベーションをアップするコーチの熊谷留美子です。
「向田邦子 ふたたび」の本について・・・
私は、鹿児島県の霧島市(国分市)に20歳までおりました。
東京へ就職して、自分が本当に井の中の蛙だと気づきました。
鹿児島弁が恥ずかしいと思ったこともありました。
いまでこそ、鹿児島の焼酎は市民権を得ていますが、あのさつまいものカスの匂いが嫌でたまりませんでした。
ただ、鹿児島だと話すと、歴史をよくご存知のかたがたは、とってもかわいがってくださいました。
鹿児島は、いいところだと言われるとなんだか、だんだんコンプレックスがなくなりました。
もっと鹿児島を好きになったのは、脚本家でエッセイストの向田邦子さんが3年間過ごした少女時代のことを書いたものを読んでからだと思います。
飛行機事故で亡くなられてから発行されたものですが、
「向田邦子再び」です。
特に
◆四十年が変えなかったもの ー鹿児島感傷旅行ー (P111)◆
のエッセイが好きです。
東京生まれの転勤族の向田さんでしたが、エッセイで「長く生きられないと判ったら鹿児島へ帰りたい」と書いてありました。
「えっ? 鹿児島?」
びっくりしました。
そのエッセイは、昭和54年にかかれていて、ちょうど、私が上京して井の中の蛙を嫌というほど感じていた時期でした。
ふるさとの良さが書かれていて、田舎者と呼ばれて(実際は呼ばれていないのですが、そう感じていた・・・)肩身の狭い思いをしてきた私に勇気を与えてくれたのです。
今でも、9歳まで過ごした山奥の土地に時々行くと、名前で呼んでくださいます。
私は一瞬で「幼い子供」に帰ることができるのです。
私がいま、本社の登記を東京の南青山にしているのは、向田さんが歩いた街を一緒に感じたいということもあるのです。
それは、人との関わりをとっても大切にされて亡くなったあとにも、多くの方がたが、口々に向田さんを語っています。
おそらく、自分が亡くなったときに私自身が「何か」を残したいのかもしれません。
エッセイそのものは、とってもシビアな視点でかかれています。
そして、誰もが気づかない、でもちょっぴりセンチメンタルにしてくれる、心の奥深い扉を開けてくださるようなものです。
きっと、私もそうなりたいのかもしれません。