こんにちは、女性の応援団 モチベーションをアップするコーチの熊谷留美子です。
私は、小6までは、ピアニストになると本気で思っていました。
小4のときに転校したのですが、「山猿」と呼ばれていました。
本当に山の奥深いところに9歳までいたので、そのとおりでした。
芸は身をタスクといいますが、そのとおり。
山猿から一転して、人間として扱ってもらったのは(笑
ピアノが他の人よりは、少しうまかったのです。
9歳までいたところ、そのころは、家の前まで車が通らなかった小道でした。
あるとき、ピアノを買うことになったのですが、
な、なんと
丸太をゴロゴロ動かして、1kmくらい運んだのです。
いまでも、鮮明に覚えています。
ピアノの調律のことを考えなかったかと思うのですが、両親の思いはそんなことを超えていたと思います。
私が大人になってから聴いた話ですと、そのころはピアノ自体が少なくてなかなか売ってくださらなかったそうです。
母がお金を必死になってかき集めてピアノ業者に何回も交渉して、家までも押しかけたりしたそうです。
父はピアノを弾く私たち3姉妹を本当に慈しんでみてくださっていました。
山をいくつも超えて、日曜日には車に乗せてレッスンに連れていき、父は教室には入らず、外でずっと立って聴いていた姿も、鮮明に覚えています。
東京オリンピックのころは、やっとテレビが普及したころでしたが
そのころ、山奥の我が家にピアノが届いたのです。
親がどれほど考えてそろえてくださったかと思うと感謝でいっぱいです。
父と母に一番感謝しているのは、両親がピアノを購入したことで一度も自慢もしなかったし、恩をきせることもなかったのは、私にとっては大きな財産をいただけたと感謝しています。